多田武彦作品集より 男声合唱組曲 「雨」       多田武彦

この組曲は昭和42年(1967年)2月に作曲、同年5月28日東京文化会館において明治大学グリークラブにより初演された。昭和38年、芸術祭奨励賞を受賞して以来しばらく私は合唱曲の創作から遠ざかっていたが、多くの合唱愛好者から「柳河風俗詞のような親しみやすく歌い易い合唱曲を・・・・」という注文が多く、初心に帰ったつもりで書いたのがこの曲である。  雨は、人間にとっては随分と親しい間柄である。その鬱陶しい自然現象は、昔から人間にいろいろな孤独感や非哀感を与えてきた。  同時に、雨が上がるときの、あの清らかなすがすがしさをも、しみじみと人間の心に伝えてくれてきた。そういうさまざま雨と、そのときどきの人間の心との交流を主題にして、私はこの作品を、心をこめて書いてみた。  むかし、ギリシャでは、心をこめて創作を行う時には、「芸術の神、ミューズ」が作者の心に宿るといわれていたそうだが、昭和35年度作の第1曲「雨の来る前」に続いて第2曲の「武蔵野の雨」を書くために武蔵野の奥深く取材に出かけたとき、私は、私の心にミューズが宿るのをおぼえた。第1曲と第2曲によって、自然現象としての、力強い、うっとうしい、わびしい雨を捉えた私は、第3曲「雨の日の遊動円木」では、人のいない雨の日の児童公園の冷たい風情のなかに人間の孤独感をにじませ、第4曲「雨、雨」では、「さまざまな雨音のかもし出す世界を、無色透明に見つめつづける人の心」を描いた。  そして、第5局「雨の日に見る」では、冬の雨の日の、あのもやのかかったような冷気を通して、孤独感や悲哀感にうちひしがれた主人公が、庭に見事に実ったザボンの実(ある人にとっては、それは到底実現しそうにもない輝かしい理想であり、ある人にとっては、それは手のとどかないところにいる恋人でもあるが)と、離れてじっと座っている姿を浮彫にし、第6曲「雨」では、こうした悩みや苦しみから昇華し切った主人公が、溢れ出ようとする涙をおさえて、しみじみと歌いおえる曲想とした。  「武蔵野の雨」で私の心に宿ったミューズは、この作品を書いているあいだ中、私の心の中にいたが、終曲が鳴りおわると同時に消えていった。しかし私は、この終曲ができたとき、「今後いつでも作曲の筆を折っていい」と思ったし、とりわけ第6曲「雨」は、私の臨終における鎮魂曲として、私の心の奥深く刻みこまれてしまった。

注:第4曲「雨、雨」は、改訂版で本来の「十一月の雨」に替えて作曲された。

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