「冬の旅」について

  パンの次期演奏会に向けて「冬の旅」の練習が始まりました。いつも懇切な解説を書いて下さる小原先生の真似をして、冬の旅について一言書くことを思い立ちました。  私が17歳、学校でドイツ語を習い始めた頃、音楽一家の友人の家で初めて「冬の旅」の全曲を聴きました。ビクターの赤版(勿論SPレコードです)で、歌手は バリトンのゲルハルト・ヒュッシュ、ピアノ伴奏がハンス・ウド・ミューラーという歴史的銘盤です。出だしの「お休み」のよろめくような足取り、聴き慣れていた 民謡風とは全く違い激しく転調する「菩提樹」、余韻を残して静かに消えていく「辻音楽師」全24曲の虜になりました。渋る友人を何とか口説き落し、アルバムを 借りて自宅で繰り返し聴く傍ら、レコードに付属していた黄ばんだ解説書のドイツ語をノートに書き写し字引を頼りに全曲の訳を試みる程にのめり込みました。 ところが、私にどうしても腑に落ちない事がありました。それは家内と一緒に「冬の旅」を聴きに行っても「失恋した位で冬の荒野をさ迷い歩くなんて女々しいわね」 とやられてしまう事です。「冬の旅」にはもっと深い何かがあるのではないかと思い続けてきました(恋愛が深くないというわけではありません)。数年前、梅津 時比古氏(鎌倉生まれの著名な音楽評論家です)の「冬の旅―24の象徴の森へ―」東京書籍出版という本を読んで、胸に落ちるものがあったので、そのほんの一部を ご紹介しようというわけです。 梅津氏によれば、冬の旅の主人公は単純に恋に破れた若者でなく、その出自からして反社会的、反体制的であるというのです。そのように判断した理由を幾つも挙げ ていますが、例を挙げると、 1番の「お休み」の冒頭に出てくるfremdという言葉は、「よその土地(人)の、見知らぬ」という意味だけでなしに、共同体、社会の側から見た「よその」者と断じる 面があるそうです。今や日本では禁句であり、死語となったブラク民に通じるかも知れません。そうと判れば、一度は愛を語った女性や結婚を口にしたその母親から 疎外されてすごすごと町を出るよりほかなかったと言えるでしょう。 14番の「灰色の頭」には、霜のために白髪になったと思って喜んだ髪の毛が、霜が溶けたために元の黒い髪に戻った事を嘆く場面がありますが、茶髪が一般的な ドイツ・オーストリア社会では黒い髪は異邦人を連想させると指摘しています。 21番の「宿屋」は、旅に疲れた主人公が墓地に行き当り此処で休ませて欲しいと頼んで断られるという情景を歌っています。当時のドイツ、オーストリアでは死者は 基本的に教会を通じて墓に入る事になっており、墓地に入ることを断られたという事は共同体にも入れない烙印を押されたと時津氏は断じています。 22番の「勇気」では、主人公は「この世に神(単数Got)が居ないのなら、我々自身が神(複数Götter)になろう」と悲痛な叫びをあげます。 この他にも、キリストとペテロを連想させる雄鶏Hahn、共同体の番犬を連想させる犬Hundなど多くの象徴が用いられている事を指摘しておられますが、冬の旅を このように政治的にみる事を否定する意見の持ち主も大勢居る事を時津氏も認めていますし、この本は、冬の旅の反社会的な性格だけを強調するだけでなく、各曲の 調性の問題、曲順の問題、歌詞の問題(合唱曲集にもあるErstarrungの中で、原詩ではerfrierenとあるのをシューベルトはerstorbenとしている)などの様々な問題を 取り上げ、著名なドイツ人歌手、日本人歌手などとの直接的な対話も取り入れて解説を試みています。全曲の対訳やCDの歌手やピアニストに関する評(梅津氏が最も 推薦するのは、望先生が推薦されたテノール歌手のプレガルディエンです)もあるので、読んでみたいと思う方は岡田までお申出で下さい。お貸しします。
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文:岡田 宏